花葬里

生きたことを、忘れないで。

家族の作り方を、教えてください。

  多分これは、日本に来てから、二回目になる。

  心に空いた穴が脱皮のごとく、風化した表面の皮を落とそうとして、まだ新しい皮ができていないのに、絡み合った血肉さえも無理矢理切り離して、滲み出た血がゆっくり体から流れ出して、痛くて痛くてたまらなかった。

 

|夜と拒みあって、恐怖を呼び覚ます。

 

  一月の一カ月間、普通に眠れた日は、一日もなかった。

  ここ数年間、一番律儀な生活を送っていたはずだ。十二時ぐらいに横になって、夜更かしはしない。無理に一日三食を取らずに、食欲のある時にだけ自然に食事を取る。寝る前に少しストレッチをする。週二回のお風呂を確保する。

  それなのに、不眠症か、悪夢の連鎖ばかりの毎日だった。

  体が健康になればなるほど、心が病んでゆく。

  今以上に生きることを愛したことのないぐらい、今以上に自分の人生はこれ以上どうしようもできないと絶望するぐらい、精神状態が一日中に何回も、両極端を往復する。

  そして一月末の休日に、とうとう正気を失ってしまった。

 

|誰か、返事を下さい…お願いだから。

 

  一月下旬の二週間は在宅勤務だった。

  プロジェクトのリリース前だから、みんな揃ってピリピリしていた。システム障害に不良対応、残業の激しい毎日は誰一人も見逃さなかった。

  そんな中で、先週の五日の中、私は二日ほど作業の指示がなく、ただただノートパソコンを無駄に睨んで、待機していた。朝のメールで作業の指示を待つと書いた。午後のメッセージで何かできることはないかを聞いた。作業終了の連絡で明日の作業指示をお願いした。

  リーダーは忙しくてメールもメッセージも返信してくれなかった。システム障害で回復を待っている間に先に上がられてしまった。課長は何があればすぐ連絡してくれると言ってくれたけどどうやらこんな状況でも私にできることは何一つなかったみたいだった。スカイプの音声通話のラグがひどくて打ち合わせにならなかったからそれ以降誰も音声をかけてこなかった。

  そして一週間、部屋にこもって、誰ともしゃべらずに、誰からも何の返信もないまま、過ごしてしまった。

  誰にも必要とされない。

  誰の声も聞こえない。

  誰からも返事がない。

  誰も、私がここに生きていることを、覚えていない――

 

  誰からも観察されない人間なんて、いないもの同然じゃない?

  私は一体何を持ってして、自分の存在を証明すればいいの?

  私を見て。

  私に話しかけて。

  私の呼びかけに返事して…

  私を必要として!!!

 

  そして、真弥兄さんに連絡した。

  「今日は時間ある?ちょっとお話がしたいの」

  「もちろんあるよ!夜メッセージしとく」

  「うん、待ってる!」

  「はいよ!」

 

  これだよ!

  これだけが、欲しかったんだよ!

  メッセージを送ればすぐ返事してくれる、今まで当たり前のように思っていたことが、当たり前のように起きているところが知りたいんだよ!普通に呼びかけたら、普通に返事して…なんでこんな状態になるまで、目の前の世界が私を構ってくれなかったの…?

 

  こんなふうに思考能力を放棄してただただ低能な感情を放り投げるけど、皮肉なことに、別に理由がわかっていないわけではない。

  中二病の設定を置いても、私は人間が嫌いだ。

  人に頼るのが嫌いだ。

  人と継続的な繋がりを持つのが嫌だ。

  それなのに、外の世界からの返事を欲しがって、私は一体何がしたいんだ。

 

 

|あの夕日に目覚めた、本当の願い。

 

  一昨日、一月の最後の土曜日、あまりにも気がおかしくなりそうだったから、家にこもるのをやめて、駅周辺を散歩することにした。

  数年前の自分なら想像もできないことでしょう。

  あの時の自分は、食事をする時間も寝る時間も惜しむぐらい作業に夢中だった。仕事の合間に小説のあらすじを書いていた。仕事から上がって小学生の宿題を見て、家に帰って日本語教室の宣伝ビデオの翻訳をして、日本語レッスンラジオの脚本を書いて録音してのバイトを一斉にやっていた。サークルで出すアフレコ企画も休むことなく作っていた。

  そんな自分が、今、たっぷり数時間を使うつもりで、散歩をしようとした。

 

  その前に、サイゼリヤでお肉いっぱい食べた。

  けど食べた気がしない。全然お腹がいっぱいにならない。

  食欲の存在を探知できない。

  ただの想像じゃないかと疑うぐらい、現実感がなかった。

 

  そして前回と同じ方向に向かって、私は散歩を始めた。

  目的地がないから、ただ寒くて、本能的に日の当たるところに行こうとした。

  こんないい天気なのに。

 

  商店街を歩くと、ゆうくんと似ている男を見かけた。もう一人の女の子と楽しくしゃべりながら、通り過ぎた。でもやっぱり違う。見た目は少し似ているが、ゆうくんはあんな雰囲気じゃなかった。そう、私は、ゆうくんが近くにいる時の雰囲気が好きだ。静かに話しているときの声が好きだ。時の流れが止まるぐらいの存在感が好きだ。ずっとそばにいてもらって、命の裏側にいるように生きていきたい。

  だからその時、「君と似ている人を見かけたよ!でも私が好きな君とは全然違うや!」とLINEを送りたかった。何度も携帯を取り出してはしまい、しまっては取り出す。でも結局自分を説得して、諦めた。

 

  どれだけ歩いたかな。町一つ通り抜けた気がする。

  そしてなんと!目の前に大通りが現れて、向こうには川があった!!

  ずっと前に神様が用意してくれたサプライズをようやく見つけた気分で、私はすごく嬉しかった!!

 

  川辺へ降りて、手袋を外して、川と空の写真を撮った。

  でも起き上がって前に進もうとすると、手袋がなかった。元の場所を確認すると、やはりそこに落ちていた。慌てて戻って拾ったら、川辺でランニングしていた一人のおばさんに「よく気づいたね!私もよくこんなことをするよ」と声をかけられた。

  なんか、久しぶりに、自分に向けた、前向きな感情を込めた、人間の声を、聞いた気がする。

  その瞬間に襲ってくる暖かさが、私に真実を告げてくれた――

  誰でもいいから、一瞬でいいから、家族に、なってください!!!

 

  あまりのショックで、本当は目覚めた感情が爆発するぐらい持っていたのに、私は言葉を口にできずに、ただ笑い返しただけだった。

 

  結局日が暮れそうになっても、私は日の当たるところを追いつけなかった。

  そして帰り道で案の定、迷ってしまった。来た時の道は建物や外に貼っているポスターまで覚えていたのに、それが今はどうしても見つからなかった。仕方ないから携帯で地図が勧めてくれたルートを歩くと、まったく知らない道ばかりだった。

  おまけに暗くなるのが速くて、通った一軒家の窓から見える明かりを眺めて、まるで夜中に出歩いているような錯覚がした。夜中でもいいから、どれかの家に入って、その家の子供になりたいと、こっそり思っていた。

  こいつは頭おかしいだろ!と突っ込みながら、体の内側からの寒さで怖くなり、身の安全を祈りながら速足で駅にたどり着いた。そしてゆっくり家に帰る途中、DAISOでバレンタインのプレゼントカバー用のものを買った。

  プレゼント、受け取ってくれるかな。

 

|二月は、よろしくお願いします。

 

  散歩のことは、昨日、ゆうくんにLINEで送って伝えた。

  すごく長いメッセージだった。午前零時前に送信した。

  今週の休日は、彼からの連絡はなかったから。

  そして日が変わっても、夜中に私が悪夢との戦いが始まっても、夜明けにその戦いを終わらせて現実に戻ってきても、昼間にリーダーから新しい作業依頼が来ても、夕方に勤務終了しても、夜に四時間をかけてこのブログを書いても、なかった。

  前回既読の返信無しはいつごろだっけ?未読のままにされるのもつらいけど、既読スルーは別の意味でつらい。そうか、前回はそのままスルーされたんだった。本当にバカだな、私は。

 

  本当は知っていた。ゆうくんになにも必要としていないことを。

  彼は自分を必要としている職場があること。自分の将来を期待している家族がいること。自分の唯一の恋愛感情を欲しがっては手には入れない相手がたくさん待ってくれていること。そしてたとえ本当は誰かを必要としても、それは決して私ではないこと。

  だから、私は自分の欲望より、いつかの未来で、ゆうくんに「君なんて欲しくなかった」と言われるのが一番怖かった。だからいくら結論を蒸し返しても、結局同じ結末にたどり着くしかなかった――

  ゆうくんは、私の救いではない。

 

  だけど、それでも構わない。

  私は別に恋人が欲しいわけじゃない。当たり前のようにそばにいてくれて、気にかけてくれて、この命の足跡を証明してくれるもう一つの生命体が欲しいだけだ。

  あまり知らないけど、それは「家族」と呼んでいいでしょうか?

  ゆうくんには、家族になってほしいんだ。

 

  何があっても、二月の電話と、あってほしいデートが楽しみだ。

  たとえ、これが最後になるとしても――

 

|終わりに。

 

  だから、どなたか教えてください。

  どうしたら、「家族」ができるんでしょうか?

 

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